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大阪地方裁判所 昭和52年(行ウ)114号 判決

原告

中野マリ子

右訴訟代理人

柴田信夫

外四名

被告

外務大臣

伊東正義

被告

右代表者法務大臣

奥野誠亮

右両名指定代理人

松永榮治

外六名

主文

被告外務大臣が原告に対し昭和五二年二月一六日付でなした一般旅券発給拒否処分を取消す。

原告の被告国に対する請求を棄却する。

訴訟費用は、原告と被告外務大臣との間では被告外務大臣の負担とし、原告と被告国との間では原告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の申立〈省略〉

第二  原告の請求の原因〈省略〉

第三  被告らの答弁〈省略〉

第四  被告らの主張

一、二〈省略〉

三  原告の旅券法一三条一項五号不該当の主張について

原告は、次に述べるとおりいわゆる日本赤軍と称される過激派集団と連繋関係を有することが認められ、日本赤軍による既往の破壊活動等にかんがみると、原告の海外渡航は日本国の利益または公安を著しくかつ直接に害する虞があるものと認められる。したがつて、旅券法一三条一項五号に基づく被告外務大臣の本件処分は正当かつ適法なものである。

(一)  日本赤軍の組織実態

「日本赤軍」は、わが国の極左団体の一つである共産同赤軍派(共産主義者同盟赤軍派)の思想的流れをくむグループで、昭和四六年二月、その提唱に係る「国際根拠地建設論」(これは、世界赤産党建設、世界革命戦争の根拠地を先行的に組織しようというものである。)の実践として、アラブに渡つた共産同赤軍派中央委員重信房子らが共産同赤軍派と訣別して新たに組織したグループで、当初は「アラブ赤軍」と名乗つていたものである。

日本赤軍は、「①日本人民共和国の建設、②臨時革命政府をめざす日本革命協議会、③地下大衆運動による全人民的団結、④武装闘争、⑤国際革命協議会の建設と国際共産主義運動の統一」の五つの柱を軸に、国際・国内遊撃戦を中心にあらゆる人民の指導勢力の結集を図り、世界革命へ向けての根拠地たるべき日本人民共和国を建設しようとの独善的な闘争理論を掲げ、後記のような傍若無人の破壊活動等を展開し、かつ、これを展開しようとしているものである。

日本赤軍の組織としては、最高指導機関として政治委員会があり、その下に調査、兵站等を担当する組織委員会と、軍事の実行を担当する軍事委員会が置かれている。その構成員は、重信房子をキャップとする二十数名の日本人グループで構成され、これらの者はアラブ諸国を拠点として活動している。

日本国内でも、海外から送還された日本赤軍関係者などを中心に、日本赤軍からのメッセージ等を発表したりするなどの支援活動が展開されており、一〇〇名を下らない数のシンパがこれを支援している。

(二)  日本赤軍による破壊活動等

1 テルアビブ・ロッド空港事件

日本赤軍の構成員である奥平剛士、安田安之、岡本公三ら三名は、昭和四七年五月三〇日、イスラエル、テルアビブ・ロッド(アラビア語ではリッダ)国際空港の待合室で群衆約三〇〇人に向けて自動小銃を乱射、手投げ弾を投げ、九八人を殺傷させるという国際無差別殺人を敢行、奥平、安田はその場で自爆し、岡本はイスラエル当局に逮捕拘束されるところとなつた。なお、日本赤軍は右事件を「五・三〇リッダ闘争」と称している。

2 日航機ハイジャック事件

日本赤軍構成員丸岡修は、アラブゲリラ四名とともに、昭和四八年七月二〇日、オランダのアムステルダムからアンカレッジ経由で東京へ向う予定の日航ジャンボジェット機(乗員二二人、乗客一二三人)をアムステルダム上空で乗取り、アラブ首長国連邦のドバイ空港を経て、同月二五日、リビア・ベンカジ空港に着陸、乗員乗客を解放した後、同機を爆破し、丸岡ら犯人はその場でリビア軍隊に逮捕された。

3 シンガポール・クウェート事件

日本赤軍構成員和光晴生、山田義昭の二名は、アラブゲリラ二名とともに、昭和四九年一月三一日、シンガポールのシェル石油製油所を襲撃爆破し、フェリーボートを奪い乗組員五人を人質として海上に逃れたこと、一方、右支援として、同年二月六日、アラブゲリラ五名が在クウェート日本大使館を占拠し、大使ら一六人の人質と交換にシェル石油製油所襲撃ゲリラら四名をクウェート空港まで日航特別機で移送させたこと、そして、シェル石油製油所襲撃ゲリラ・大使館占拠事件のアラブゲリラ九名は合流の上、右空港を飛び立ち、同年二月八日、南イエメンのアデン空港に着陸、右ゲリラ九名は同政府の管理下に入つた。

4 ハーグ事件

日本赤軍構成員和光晴生、西川純、奥平純三の三名は、昭和四九年九月一三日、けん銃、手投げ弾で武装して、オランダのハーグにあるフランス大使館を襲撃占拠し、大使ら一一人の人質と交換に、フランス当局に偽造旅行券行使などで逮捕されていた山田義昭(日本赤軍構成員)を奪還するとともに、オランダ当局から三〇万ドルを強奪した上、同年九月一七日、フランス航空機で、スキポール・アムステルダム国際空港を離陸、同年九月一八日、シリアのダマスカス空港に着陸、その場でシリア政府の管理下に入つた。

5 クアラルンプール事件

日本赤軍構成員日高敏彦、奥平純三、和光晴生ら五名は、昭和五〇年八月四日、手投げ弾、けん銃で武装して、マレーシアの首都クアラルンプールにあるアメリカ及びスウェーデン大使館を襲撃、アメリカ領事ら五三人を人質にとり、両大使館を占拠し、右人質と交換に、わが国で拘禁中の西川純、戸平和夫、佐々木規夫、坂東国男、松田久を奪還した上、同年八月七日、クアラルンプール空港を日航特別機で離陸、同年八月八日、リビアのトリポリ空港に着陸、その場でリビア政府の管理下に入つた。

6 ダッカ空港事件

日本赤軍構成員丸岡修、西川純、坂東国男、佐々木規夫ら五名は、昭和五二年九月二八日、パリ発東京行きの南まわり欧州線の日航機(乗員、乗客合計一五六人)がインドのボンベイ空港を離陸した直後、けん銃、手投げ弾で武装しこれを乗取り、バングラデシュのダッカ空港に着陸させ、人質と交換にわが国で拘禁中の奥平純三、大道寺あや子、浴田由起子、城崎勉、仁平映、泉水博を奪還するとともに、現金六〇〇万ドルを奪つた上、同年一〇月三日、ダッカ空港を難陸、ダマスカスを経てアルジェリアのダル・エル・ベイダ空港に着陸、同年一〇月四日、人質を解放し、その場でアルジェリア政府の管理下に入つた。

7 破壊活動等再発の危険性

日本赤軍は、前記6のダッカ空港事件以降、なりを潜めているが、本件処分当時においてはもちろんのこと、現在においても、前述のような凶悪なハイジャック事件、人質事件等を繰り返す危険性を有しているものである。すなわち、日本赤軍は、昭和五二年一二月人民新聞社から発刊した「団結をめざして―日本赤軍の総括―」の中において、従前の破壊活動を総括し、日本赤軍は、「遊撃戦を主軸に革命活動をつづけてきました。しかし、私たちの闘いは、遊撃戦といつても本来の意味の遊撃戦にはなり切れていず、本格的遊撃戦の端緒を担つているにすぎません。遊撃戦の端緒期に、遊撃戦陣型を闘いぬくために、不断に組織の総力戦展開を余儀なくされます。」、「私たちは、本当に武装闘争の端緒についたばかりです。」とこれを位置づけ、今後、さらに「全面的な遊撃戦を準備し」、「党性、階級性、人民性を革命任務の中で不断に意識化し、実践し、持久的な武装闘争を、より発展させることを約束します。」、「武装闘争実践を、人民の意志の表現として、持久的で階級的を国際、国内遊撃戦として展開せしめるでしよう。」と、武装闘争の継続を宣言しており、日本赤軍によるテロ活動、破壊活動等の危険は未だやんでいない。また、日本赤軍は、昭和五三年一月以降、人民新聞誌上に、「階級的団結へ前進を」、「七八年にあたつて」、「三里塚の闘う農民へ」、「3.26三里塚に感激」、「同志奪還闘争への意見に応えて(1)〜(5)」、「拷問に耐抜く思想を」などのメッセージ、小論を掲載し、日本国内の支援者らとの提携等を呼びかけるなどをしているほか、同年五月三〇日の「五・三〇リッダ闘争六周年」に際し、ダッカ事件の際の人質乗客、乗務員及び在監中の刑事被告人らに対し、団結を求めるとともに闘う決意を表明した書信を郵送し、同年七月開催の新東京国際空港反対闘争の一環としての集会に際して、国内支援ゲループである拒否戦線が配布したビラにおいては、「共に全世界の闘う人民の隊伍の一翼をにない抜き、闘う日本人民の代表として日帝をはじめとする帝国主義者を、日本の内外で打倒し抜こう!私たちはすでにその用意を闘いへむけて組織しつつある。……我々こそが闘う日本人民の代表としての隊伍を、敵への攻撃を、最前線の革命任務を闘い抜く責任を用意する段階にあることを、闘う全ての人民の前に明らかにしよう!」と述べ、次の破壊活動等への宣戦予告を行なつている。

これに加えて、ダッカ空港事件の犯人丸岡修ら五名および奪還された奥平純三ら六名はアルジェリア政府の管理下に入つてから消息が跡絶えていたが、その後日本赤軍本隊と合流した。

(三)  原告と日本赤軍の連繋関係

原告は、次に述べるとおり日本赤軍と連繋関係を有するものであり、日本赤軍による前記破壊活動等にかんがみると、原告の海外渡航は日本国の利益又は公安を著しくかつ直接に害する虞があるものと認められる。

1 日本赤軍による昭和四九年一月三一日の「シンガポール・シェル製油所爆破事件」の国内捜査として、警視庁は、同年二月四日、当時世界革命戦線情報センターの代表で、日本赤軍構成員である足立正生の携行品等に対し捜索差押を実施し、同人が携行した手提鞄からメモ、ノート等五件を押収したところ、押収品のメモの中から暗号通信の組立て又は解読に用いる「換字表」が発見され、そして、同「換字表」には原告の氏名等が暗号数字で表示されており、右「換字表」について、足立正生は、昭和四九年三月一六日警視庁係官に対し、「メモに記載の暗号は、ある人間から自分あてに来た手紙を読むのに必要なものである。この暗号は、自分が決めたものではなく、向うから言つてきたものである。」と供述し、そのある人とは重信房子かとの問に対しては否定も肯定もせず、「7アタ」とあるのは足立正生自身のことであると述べ、右「換字表」の「1マリアン」とは重信房子を意味し、さらに、足立正生は右「換字表」の捜索押収時に、重信房子作成のアドレス(秘密連絡場所)を換字表とともに所持していた。

足立正生は、昭和四八年七月二〇日の日航機ハイジャック事件に関連し、同年八月一三日、パリのサンジャク・ホテルで、通訳同伴の上「A・マサオ」と紹介されて記者会見し、日本赤軍並びに「被占領地域の息子たち」の共同声明と題して、日航機ハイジャック闘争の意義等を発表し、さらに、足立正生は、昭和五二年九月二八日のダッカ空港事件についても、同年一〇月四日、ニコシアのホテルで記者会見し、その意義等を発表し、日本赤軍のスポークマン的な役割りを果たしており、また日本赤軍関係者である行者芳政(同人が日本赤軍構成員であつたことは、明らかであり、同人は日本赤軍による翻訳作戦―ヨーロッパにおける日本商社員誘拐、身の代金強奪作戦の陰謀等に加わつていたものである。)は、警視庁の取調べに対し、「足立正生は、昭和四九年九月のハーグ事件の際、和光ら犯人がシリア政府に投降した後、その釈放についてシリア政府と交渉するためベイルートからダマスカスに赴き、和光らと面接し、その状況をベイルートの重信房子らに報告した」とその行動状況を供述しており、足立正生が日本赤軍構成員であることは明らかである。

なお、昭和四六年五月、映画「赤軍、PFLP世界戦争宣言」の製作のため、レバノンに赴いた若松孝二、足立正生は、重信房子が居住しているベイルート市内のアパートの上階を借受け居住中、原告および信原孝子がその居室を訪れるなどの交際のあつたことを警視庁係官に供述している。

2 日本赤軍構成員山田義昭は、昭和四九年七月二六日「古家優」名義の偽造日本旅券を行使してフランス・パリ(オルリー空港)入国を図つたが、発覚し、フランス当局に逮捕されるところとなり、右逮捕時、山田義昭は右行使の偽造旅券のほかに数通の偽造日本旅券、偽造米ドルおよび通信文等十数通を隠匿所持していたが、その通信文の中に「MASAKO WADA」から「EMIKO SUNABA」にあてた航空郵便とみられる手紙(暗号記号を用いるなどして綴られたもの)一通が含まれており、国内捜査の結果、「EMIKO SUNABA」とは、大阪府堺市緑ケ丘北町二の五三に居住する大阪市立大学理学部図書室事務員砂場恵美子であることが判明し、そして、警視庁が「シンガポール・シェル製油所爆破事件」の国内捜査の一環として、昭和四九年八月一〇日前記砂場恵美子宅に対し、捜索差押を実施し、メモ、通信文等六件を押収したところ、同押収資料のうち通信文五枚中二枚に「四月一七日中野マリ子」、「四月二五日ベイルートマリ子」と発信名が記載されたものが発見された。

しかして、前記のとおり、砂場恵美子は、日本赤軍構成員山田義昭からの通信文の受取人とされており、しかもその通信文の内容はその当事者間のみにおいて了解できるものとされていることからすると、砂場恵美子は日本赤軍となんらかの関係を有することは明らかである。

3 原告は、国内における宣伝の場を提供するなど日本赤軍と極めて緊密な連帯関係にある人民新聞社(旧新左翼社)発行の「新左翼」(昭和四九年六月五日付け)を通じて、「五・三〇闘争二周年アピール」を発表している。

すなわち、右「新左翼」紙には、「五・三〇闘争二周年アピール勝利か死か!戦時下でのレバノンより 中野マリ子」と題し、原告からのアピール文が発表されているが、その中で、原告は、「五・三〇リッダ闘争二周年に際し、日本の同志諸兄姉に防衛体制にあるパレスチナキャンプから、熱烈な連帯を表明したい。……この防衛戦争は、被占領地パレスチナにおいて岡本奪還を筆頭に戦われた、クリアッティ・シモオナ作戦、学校占拠、ハイファ石油タンク爆破、ジェルサレムにおける爆破等の戦闘をひきうけたパレスチナ人民の戦争だ。……すでにこの一カ月に二度も、岡本奪還がさけばれた。コオゾオ・オカモトの名はアラブ人民誰一人として知らぬ者はない。決意したフェダイン達は、私に『私達パレスチナ人民はオカモトを奪い返すためには最後の一人の血を一滴までささげるつもりだ』と語つた。……私も三度目の戦争への決意をととのえたナースとして陣地にいる。勝利か死か!革命的誠意をこめて、パレスチナの戦列から」と述べている。

ところで、右アピール以前にも、テルアビブ・ロッド空港事件直後に結成されたテルアビブ闘争支援委員会は、原告の昭和四七年七月一二日付けで「パレスチナの戦列から」と題するアピールを、日本赤軍(当時アラブ赤軍)からのアピール、昭和四九年五月に出国し日本赤軍構成員となる奥平純三の「革命二戦士追悼にむけて」などとともに特集し、これをパンフレットにして発行している。

そして、このテルアビブ闘争支援委員会は、昭和四七年六月、共産主義者同盟赤軍派の中から結成されたものとみられている。

4 原告は、昭和五〇年一月人民新聞社(旧新左翼社)の中東特派員となつているが、この人民新聞社は、日本赤軍に宣伝の場を提供したり、日本赤軍の支持支援を呼びかけたり、日本赤軍作成のポスターの販売斡旋をするなど、日本赤軍とは極めて緊密な関係にあり、原告は同社の編集長らとも親交関係がある。

さらに、人民新聞社は、東京都立川市柴崎町三―六―三風林舎内に東京多摩支局を置いているが、風林舎内には日本赤軍に対する支援活動を行なつている「三多摩パレスチナと連帯する会」の事務所が置かれている。

右のように、人民新聞は右連帯する会に事務所を提供したり、同会の会合等に場所を提供するなど、日本赤軍関係者と緊密な関係を有している。

なお、原告は、昭和五二年二月一一日武蔵野市の武蔵野公会堂で開催された「今パレスチナの意味を問う講演会」の会場集辺で「パスポートをよこせ」とのビラを配布する了解を得るため、風林舎を訪れるなどし、右連帯する会の構成員とも接触関係を持つに至つている。

5 原告は、昭和五二年二月一一日「今パレスチナの意味を問う講演会実行委員会」(代表日本赤軍関係者北川明。同人は日本赤軍構成員で、日本赤軍による翻訳作戦の陰謀等に加わつていた。)が主催した「今パレスチナの意味を問う講演会」に参加し、北川明とともに集会案内ビラを貼付するなど、同人と接触関係を有していた。

6 原告は、パレスチナ難民支援センターの呼びかけに応じ、昭和四六年四月、医師信原孝子とともに、右センター派遣の医療団先発隊として出国し、昭和五〇年一二月までの間レバノンを中心とする中東地域に渡航し、同地にあるパレスチナ解放機構の医療機関にボランティアとして勤務していたものであるが、この間、原告は日本赤軍構成員重信房子、信原孝子らと交友関係を有していたものである。

以上のとおり、原告は昭和四六年四月から昭和五〇年一二月までの間レバノンを中心とする中東地域に渡航し、同地にあるパレスチナ解放機構の医療機関にボランティアとして勤務していたものであるが、この間、①テルアビブ・ロッド空港事件に関連するアピールをテルアビブ闘争支援委員会に、同事件の岡本公三らのテロ行動を賞讃する趣旨の記事を「新左翼」紙に寄せたり、日本赤軍と極めて緊密な連帯関係にある人民新聞社(旧左翼社)の中東特派員となつて同社にパレスチナ・ゲリラのテロ活動を賞讃する寄稿を行なつていたほか、②昭和四九年警視庁が日本赤軍構成員足立正生から押収した文書(換字表)に日本赤軍メンバーの氏名とともに原告の氏名も暗号コード付きで記載されていたこと、③その他原告が日本赤軍関係者と極めて密接な関係を保つていることなどの事実を総合評価すると、原告は日本赤軍と極めて緊密な関係にあることが認められるのである。〈以下、事実省略〉

理由

一請求の原因一については各当事者間に争いがない。

二旅券法一三条一項五号が違憲である旨の原告の主張について。

原告は、旅券法一三条一項五号は憲法二二条二項において保障された基本的人権である海外渡航の自由を制限するものであるところ、その定める「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」という基準は抽象的、不明確なものであり、基本的人権を制限するものとしては許されない、と主張するので、この点について判断する。

旅券法一三条一項五号が憲法二二条二項において保障された基本的人権である海外渡航の自由を制限するものであることは原告主張のとおりであるが、海外渡航も無制限に許されるものではなく、公共の福祉のために合理的な制限に服すべきものである。そして、旅券法一三条一項五号の右基準は、これに該当する者の出国により公共の福祉が害されることが明らかであるから、公共の福祉のために海外渡航の自由の制限を合理的に定めたものということができるのであつて、違憲の立法ということはできないものであり、また抽象的、不明確な基準を示す無効のものということはできない(最高裁判所昭和二九年(オ)第八九八号、昭和三三年九月一〇日大法廷判決参照)。

したがつて、原告の右主張を容れることはできない。

三旅券法一三条一項五号該当性の有無について。

旅券法一三条一項五号に該当するとして、被告外務大臣が本件処分をなしたことについては各当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、被告外務大臣が本件処分に対する異議申立を棄却した際に示した右条項に該当する具体的な事由が別紙「異議棄却決定理由」のとおりであつたことが認められる。

そこで、右該当性の有無について判断する。

(一)  〈証拠〉によれば、「被告らの主張」の三、(一)(日本赤軍の組織実態)、(二)(日本赤軍による破壊活動等)記載の各事実が認められ〈る。〉

そうすると、右認定の日本赤軍の組織実態および日本赤軍の破壊活動等よりすれば、日本赤軍と連繋関係にあると認められる者は、旅券法一三条一項五号に定める「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」に該当することはいうまでもない。

(二)  原告と日本赤軍との連繋関係の存在について。

〈証拠〉によれば、「被告らの主張」三、(三)のうちの1ないし6記載の各事実が認められ〈る。〉

そして、右各証拠に加え、〈証拠〉によれば、

(1)  原告は、レバノンのベイルートに赴いていた昭和四六年四月から昭和五〇年一二月までの間、パレスチナ解放機構(以下、PLOという)の経営するジェルサレム病院で約一年間、PLOの難民キャンプ内のハイファ病院で約四年間看護婦として働いていたが、後記のとおり信原孝子がPLOの病院を辞めてからは、PLOの中で働く唯一の日本人であつた関係から、PLOを訪れる日本の政治家、学者、報道関係者らは、まず原告のところへ案内され、原告の助力をえて取材等の活動に従事していた。

(2)  原告は、いわゆる新左翼に属する者であるが、イスラエルに対するパレスチナ人の闘争を支持し、パレスチナ人が領土を得て独立するまでPLOの病院で看護婦として働く意思を有しており、レバノンに滞在していた前記約五年の間、新左翼社(現在の人民新聞社)の発行する新聞「新左翼」(現在の新聞「人民新聞」)へ五〇回以上にわたる寄稿を続け、昭和五〇年一月には新左翼社の特派員の資格をもえた。

(3)  新左翼社は、原告から送られてくる右寄稿文に適当な見出をつけて新聞「新左翼」に掲載していたものであり、その見出には過激で刺戟的な言葉が用いられていたにもかかわらず、右寄稿文の内容は、パレスチナ現地の状況を伝える極めて実直なものであつた(但し、右寄稿文がパレスチナ人の側に立つてなされていたことはいうまでもない。)。

そして、これらの寄稿文は、新左翼系の他の雑誌等に勝手に転載されていた。

(4)  PLOの中において、テルアビブ・ロッド空港事件が対イスラエルとの戦場で行われた闘争と評価されており、右事件で生き残つた日本赤軍構成員岡本公三に対する極めて強い同情が存する反面、日本赤軍の行つた日航ハイジャック事件等その余の行為については、パレスチナ人の闘争とは関係のないもので、テロ行為との評価が与えられている。

(5)  原告は、パレスチナ問題についての自己の立場は人道主義に基づくものであり、日本赤軍のそれは政治的なものであると位置づけ、日本赤軍そのものを支持したり、女子供を盾にするようなその行動に共感をおぼえたことはない旨明言し、日本赤軍の行つた前認定の破壊活動等の多くを否定している。しかも、原告は、前記寄稿文の中で、テルアビブ・ロッド空港事件についてこれを讃美するかの如き言辞を用いているが、その実その暴力的な行為に対しても批判的で、ただパレスチナ人の闘争を支持する立場から批判的な気持を明言しかねている。そして右の言動が仮りそめのものでないことは、原告がその生まれ育ちの点でも心情の点でも、全くの庶民であり、やさしさと明るさが身についていることによつて裏づけられるのである。

(6)  原告は、昭和四六年四月信原孝子と一緒にレバノンへ赴き、PLOのジェルサレム病院に勤めていたとき、同じ日本人であるということで、日本赤軍構成員重信房子と一緒に食事するなどの交際をしていたことがあり、その際重信房子を訪ねて来た映画監督の若松孝二や足立正生(赤軍関係者)と会つたこともあるが、テルアビブ・ロッド空港事件の起きる少し前頃から重信房子との交際がなくなり、また、レバノンへ赴いて一年程して信原孝子がジェルサレム病院を辞めて、日本赤軍と同じ思想傾向のグループの経営する病院へ移つたことならびに日航ハイジャック事件の起きたときに原告がこれを批判したことから同女と不仲となつたこともあつて、信原孝子との交際も殆んどなくなつた。

(7)  昭和四九年二月四日警視庁が足立正生に対し捜索差押を実施し、同人から押収した前記換字表には、原告がレバノンにいたとき、原告を訪れた参議院議員山口淑子のほかに、サルトル、カダアイ、周恩来、ザップ、シアヌーク等の名前も見受けられる。

(8)  昭和四九年八月一〇日警視庁が砂場恵美子宅に対し捜索差押を実施し、押収した通信文五枚(原告がベイルートから発信したもの)は、砂場恵美子への私信ではなく、いずれも新聞「新左翼」に掲載されたものであり、砂場恵美子の夫であり新左翼社の社員である砂場徹が社命で自宅に保管していたものである。

(9)  テルアビブ闘争支援委員会の特集号に掲載されている原告の昭和四七年七月一二日付の「パレスチナの戦列から」と題するアピールは、前述のとおり、原告の前記寄稿文のうちの一つで、新聞「新左翼」に掲載されたものの原文が、原告に無断で転載されたものである。

(10)  昭和五二年二月一一日武蔵野市の武蔵野公会堂で開催された「今パレスチナの意味を問う講演会」の講演者は、小田実、戸村一作、北沢正雄、宮崎信夫といつた人達であつたが、いずれも日本赤軍と関係がある者とはみられていない。そして、右同日右講演会に出席した原告は、右集会案内のビラ貼りの手伝をしたが、その際一緒にビラ貼りをした者が偶々右集会の主催者の代表者である北川明(日本赤軍関係者)であつたに過ぎない。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の各事実を基礎に原告と日本赤軍との連繋関係の存否について検討すると、(1) 原告が新左翼系の者であつて、イスラエルに対するパレスチナ人の闘争を支持しており、その限りで日本赤軍と共通の思想的立場にあるが、他方において日本赤軍の行つた破壊活動等を明確に批判しており、しかも原告が日本赤軍との連繋関係を隠すために、殊更日本赤軍の行つた破壊活動等を批判しなければならない状況にあるとも認め難く、(2) 原告が新聞「新左翼」に寄稿したり、新左翼社の特派員の資格をえたり、さらには日本赤軍関係者と接触する行為に及んでいるが、これらの行為は、いずれも原告が新左翼系の者で、イスラエルに対するパレスチナ人の闘争を支持しているために、その活動の範囲内でなされたものに過ぎず、特に日本赤軍関係者と親密な交際をしているわけでもなく、(3) 前記換字表に原告の名前が見受けられるが、これまでに認められた他の事実を併せ考えてみても、PLO内における原告の知名度や交際の広さを斟酌すると、原告が日本赤軍と連繋関係を有するが故に換字表に乗せられたものとみることはできないのであり、結局原告と日本赤軍との間に連繋関係が存するとは認められない。

したがつて、本件処分は、原告が日本赤軍との連繋関係を有していないにもかかわらず、原告が日本赤軍との連繋関係を有し、旅券法一三条一項五号に該当するとしてなされた違法のものであるから、理由付記の不備の違法について判断するまでもなく取消を免れない。

四原告の国家賠償の請求について。

原告は、被告外務大臣が、旅券法一三条一項五号が憲法に反すること、または原告が右規定に該当しないことを認識しまたは認識しうべかりしにかかわらず、故意または過失により違憲または違法な本件処分をなしたことにより、原告が蒙つた損害の賠償を求める旨主張するので、判断する。

旅券法一三条一項五号が憲法に反しないことは前叙のとおりであり、被告外務大臣が本件処分をなすにつき、事実に反するにもかかわらず、原告を日本赤軍と連繋関係を有する者と故意に認定したと認めるに足りる証拠はなく、原告において、日本赤軍の行つたテルアビブ・ロッド空港事件について批判する気持を有していながら、前記寄稿文の中でこれを讃美するかの如き言辞を用いたり、自己の前記寄稿文につき、新左翼社がこれを新聞「新左翼」に掲載するにあたつて、その見出に過激で刺戟的な言葉を付するのを放置したり、日本赤軍に宣伝の場を提供し、その支持支援の呼びかけを行つている新左翼社(現在の人民新聞)の特派員となつたりしていることは前叙のとおりであり、さらには自己の前記寄稿文が日本赤軍関係者の発行するパンフレットに転載されていることに関し、原告自身光栄である旨述べている事実(原告本人尋問―第二回―の結果)に徴すると、本件処分がなされるについての原告側の責任は重大であつたといわなければならないのであつて、被告外務大臣において、他の事実―日本赤軍関係者から押収された物の中に、原告の名前の見受けられる換字表や原告が発信した手紙が発見されたことならびに原告と日本赤軍関係者との間に交友関係が認められたこと等―と相俟つて、原告を日本赤軍と連繋関係にある者と誤認したことは無理からぬことである。したがつて、本件処分を行うにつき被告外務大臣に過失があつたことを認めることはできない。

そうすると、その余の点につき判断するまでもなく、原告の被告国に対する国家賠償法一条に基づく損害賠償請求は失当であり棄却を免れない。〈後略〉

(乾達彦 井深泰夫 市川正巳)

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